Ruins old tale

鉱山調査記録、廃墟写真をメインで更新しています

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零戦(所沢航空発祥記念館)




























所沢航空発祥記念館
唯一現存する飛行可能な零戦が展示されています。
展示している零戦は1944(昭和19)年6月にサイパン島で米海兵隊によって無傷の状態で接収されたもの。
2013年8月31日まで展示延長が決定しました。

零戦(ゼロ戦)
正式名称は零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)
1940年(昭和15年)日中戦争で活躍してから1945年(昭和20年)8月の太平洋戦争終戦まで運用。

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日本の砂漠
















夕日に照らされた砂丘はエジプトの砂漠そのもの。
遠くには蜃気楼。ではなく、波しぶきを上げた海。

砂丘と言えば鳥取砂丘を一番に思い浮かべますが、日本三大砂丘に数えられる中田島砂丘というのが静岡県にあります。夕日が海岸を照らし美しい砂漠と化していました。そんな中田島砂丘ですが毎年海岸線が後退していたり、埋め立てした際のゴミが浸食により露わになってしまったりと様々な環境問題が起きています。

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旧日本軍の破棄された手榴弾


終戦後に破棄された日本軍の手榴弾。



陸海空において日米の大兵力が投入され、第二次世界大戦における最激戦地となった沖縄戦。
日本側の死亡者は18万人を数え、多くの民間人が犠牲者になった。
手榴弾は太平洋戦争末期には本土決戦に備えて各地の部隊に配備され、終戦までに約10万個ほど製造された。
本土決戦に備え民間人へ配布する為、これだけの数が用意されたものではないのだろうか。

沖縄戦では自決用に民間人へ手榴弾を渡していた。
(引用)北山の日本軍本部壕近くに集合した住民は家族ごとに固まり「米軍が上陸した」という知らせに異様なパニック状態になっていた。
村長の「天皇陛下ばんざい」の声の直後、あちこちで手榴弾が爆発し自決が始まった。
静子さん一家もひとかたまりになり、舅が手榴弾の安全ピンを抜いた。
「でも不発でした。爆発しない手榴弾をなめたり、叩いたりしても爆発しませんでした」
(引用:全日本民医連 いつでも元気「死ぬ前に子や孫に聞かせておかんと」沖縄戦「集団自決」不発だった手榴弾。しゅうとは棒で家族を殴り・・・
http://www.min-iren.gr.jp/syuppan/genki/genki.html)
(参考:かつて日本は美しかった 手榴弾を持っていた民間人~沖縄戦 http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/25783910.html)

本土決戦に備え、日本軍は昭和二十五年九月、四式陶製手榴弾を開発。
戦時中、鉄不足で悩んだ日本軍は代替えとして瀬戸物で作るしかなかった。
軍需工場では勤労奉仕で召集された学生らが手榴弾に火薬詰め作業に従事した。
その後、終戦に伴い進駐軍から大量の手榴弾の破棄命令が出されたのである。




河川一面を手榴弾が埋め尽くすという異様な光景である。




採掘開始。












「信189」の刻印がある物も発見。




時間を忘れて砂遊び。気付けば3時間経っていた。
手前の二つ(白黒と茶色)は頭の部分が欠けている。
奥の茶色は割れておらず完品だ。
大きさは硬式ボール程で、口縁部がある。持ってみると意外とずっしり重量があった。

もしこれを使わざるを得ない状況になっていたら、今頃どうなっていたのだろうか。
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